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#3「なぜ “体育”は楽しくないのか」 と思った時点であなたは負けです

ランニングをしていると頭の中で色々な情報が整理されていくのですが、その中でムカッとしたことを思いだしました。

 

小学生の時の話なんですが、授業の中で “運動会”の絵を描く機会がありました。運動オンチな私とって、できれば避けたいイベントです。

ですが、その中で奇跡的にもリレーで1位になれたことがありました。それは他の人が頑張った結果を引き継いで得たものですが、1位は1位です。ちゃんと個人表彰状みたいなやつにも1位と書かれています。私は迷いなくその様子を描きました。

 

 後ろに数人が走っていて、私が一番前を走っている絵です。それは気分良く描きました。だって数少ない1位という機会をものにしたのですから。

  描き終えた私は先生に意気揚々と提出しに行きました。そして先生が絵を手に取り 一言、言いました。

 

 

「嘘を描くんじゃない!!!」

 

 

(…はい? 今、何て言いました?

“嘘”って何? え、あれって夢だったの?)

 

その先生は、あろうことか私の大切な記憶をだと言ったのです。そうとうショックでした。ですがそのときの私は言い返すことができず、空想の誰かを私の前に書き足しました。

 

私の体育嫌いはここが原点な気がしています。

 

体育教育って何故か痛烈な批判をしがちだなと体感してきました。その積み重ねによって無意識のうちに自己否定が基本的な思考ルートになったと考察しています(あくまで1つの可能性ですが)

 

現在、学校教育という枠組みから外れてランニングをしていますが、めちゃくちゃ楽しいです。やればやるほど結果がついてくるし、それに伴って思考がクリアになって良い方に転がっていくし、痩せるし。適度に行えば、基本全部プラスです

 

じゃあ何で学校の“体育”が楽しくないかというと、学校の“体育”と本来の意味での“体育”の定義が違うのではないのかと考えました。

 

 

本来の体育は

 

【体格・健康・運動能力などの身体全体の強さを向上を目的とする教育】

 

だと思うんですが、現在の学校の“体育”は

 

【能力が劣っている者を排除して、優れている者が楽しむことを目的とするエンターテイメント】

 

卑屈な表現だと思われそうですが、できない人間から言わせれば体育はこんなもんです。こうやって考えると、私はエンタメを成立させるための材料でしかなかったんだなと思いました。

(そりゃ、そんな存在が1位とかになりやがったら都合が悪いんだろうなぁ…納得です。)

 

それを踏まえると、体育が苦手な人間こそ授業で言われていることを間に受けてはいけないような気がします。 そんなのは心の中で受け流して、学校外でランニングを始めちゃいましょう。 

 

わざわざその人たちの土台になるだけ、時間の無駄です。